和ガラスとは

 

 現代に於いてガラス製品は世界中で幅広く使用され、我々にとても身近な存在となっています。
 その歴史は非常に古く、遥か4000年以上前、古代オリエント文明にまで遡ります。
「和ガラス」とは文字通り日本で製産されたガラスの事を指し、日本でのガラスの歴史は約2000年と云われています。


 私達の知る食器などのガラス日用品は、江戸時代にオランダより伝来したガラス製造技術によって明治期以降に目覚ましく発展していきます。これだけポピュラーな素材であるガラスですが、実は日本で初めて作られた時期と場所が明確には分かっていません。


 日本へは弥生時代に中国から初めてガラス製品が入って来ました。勾玉・管玉・小玉などの装飾具です。一旦ガラスとして作られると低い融点にて熔けるため、まだ炉を高温に出来なかった日本でのガラスの始まりは、中国産のガラスを再融解し、型に入れて形成した再融解ガラスとされています。日本での再融解ガラスは北九州で初めて作られたという説が有力で、純国産ガラスは奈良で発掘されたガラス工房が現在で見付かっている最古の物ですが、果たして起源は何処にあるのでしょうか。


 近年では科学の発達により新しい事実の発見がいくつも報告されるようになりました。例えば、島根県出雲市の西谷第三墳墓群(弥生時代後期)より出土したコバルトブルーの勾玉風ガラス製品は地中海のナバロンガラスである事が判明、正倉院に伝わる白瑠璃碗はササン朝ペルシャで作られた物と発表されました。日本のガラス文化は、江戸期の長崎に初めてヨーロッパ技法が伝わり、それ以前のものは中国からの伝来とされていました。中国へは元々ヨーロッパよりガラス製法や材料がもたらされているため、中国からのガラスにはヨーロッパ由来の技法や素材が見受けられる事もあります。シルクロードの最終地であるジパングへは様々な変化を経た各国の文化が入って来ていたわけです。ガラスは古墳時代には盛んに国内で作られましたが、鎌倉時代から江戸期まで製産に空白期間があったりと、まだまだ私達の知り得ないドラマティックな歴史が多数隠されていそうです。


 和ガラスは、江戸期が美術工芸創世記、明治が成長期、大正が発展期、昭和が安定期といえます。江戸ガラスは、鉛を加え融点を下げて加工され贅を尽くした美術工芸品が多数作られます。明治に入ると鉛ガラスからソーダガラスが主流となり現在の礎が築かれていき、大正時代には庶民が楽しめるガラスを職人達が競って作り始めるのです。


 少し前まで、和ガラス(特に明治以降の物)は西欧に比べてガラス技術や文化度自体が劣っているという声も聞かれました。アールヌーヴォー様式のガラスは確かに素晴らしく、ガレやドーム兄弟など今でも大変人気があります。ですが、果たして和ガラスは劣っているのでしょうか。


 和ガラスは西欧への憧れから派生し、日本独自の発展を遂げて来ました。オランダから伝来した透き通るガラスを初めて見た当時の人々は、魔法をかけられたかのような驚きを持った事でしょう。それに魅せられガラスを再現しようという者が現れ、次第に気候風土、草花、鳥などの和をモチーフとしたオリジナル作品を作り出すようになり、新しい技術も競って編み出されました。その比類なき情熱から生み出された和ガラス達からは、そんな創造への想いまでもが伝わってくる気がするのです。


 坂崎幸之助コレクションは、明治・大正・昭和初期を中心に構成されています。
坂崎氏の視点で愛情たっぷりに集められた数々のガラス達、もろく儚い無機質で冷たいはずのガラス達が表情豊かで楽しげに見えてきます。


 さあ和ガラスのとの出逢いの扉を一緒に開いてみませんか。